水時計とは?歴史から現代における進化まで詳しく解説

水時計とは?歴史から現代における進化まで詳しく解説

水時計というとおしゃれなインテリアのイメージが強いけれど、いつからあるものなのかはあまりよく知らないという人の方が多いのではないでしょうか。

この記事では水時計の歴史から現代における水時計の進化まで詳しく解説します。

水時計とは?

水時計とは同じ穴から流れる水の量が時間あたりで一定になることを利用した時計です。

人類初の時計は今も小学校などにはよく設置されている日時計ですが、日時計は日光が射さない屋内や夜間は使用することができないことがデメリットのため、場所を選ばず使用できて夜間でも時間を知ることのできる水時計を開発しました。

原理自体は簡単であるため、世界中さまざまな地域に普及したのが特徴的と言えるでしょう。

参考:織田一朗「時計の科学」

海外における水時計の歴史

海外における水時計の歴史は古く、紀元前16世紀(紀元前1600年~紀元前1501年)ごろのバビロニア(現在のイラク南部におけるティグリス川とユーフラテス川の流域)やエジプトにはすでに存在していました。

同じころインドや中国でも水時計は使用されていたと見られていますが、詳細についてはわかっていません。

続くギリシア・ローマ文明においては水時計の精度が向上しました。

これは日時計の管理を僧侶が行っていたのと異なり、水時計は科学者によって管理されるようになったためです。

ギリシャで紀元前4世紀(紀元前400年~紀元前301年)にプラトンが水時計を制作したのを皮切りに、当時の物理学、天文学の知識を駆使して科学者による水時計の改良が行われます。

その結果アレクサンドロス時代(紀元前350年~紀元前320年ごろ)には水量調節のために83個の穴があり、サイフォン・ポンプ・圧縮空気などの技術を用いた大型の水時計を完成させました。

ローマ時代(紀元前735〜476年)には水時計は裁判にも用いられ、検事や弁護人の持ち時間を平等にすることで公正な裁判ができるようになったのです。

カルナック神殿の水時計

現存する水時計で最古のものは、紀元前1417年 ~紀元前1379年ごろに制作されたと見られるカルナック神殿に設置された水時計です。

内側に目盛りを記した土器の底に穴を開け、溜まっている水の水面の位置にある目盛りで時刻を読み取る仕組みを用いています。

昼間と夜間を6等分した不定時法に対応していて、月ごとに異なる12種類の目盛りを使用し、夜間の時刻を計っていたと言われています。

 天文観測時計の水運儀象台

中国の漢(紀元前206年~紀元220年)の時代においては1日を百刻として数え、一刻は14分24秒として時刻を決めていました。

そして昼間は日時計を用いて六十九刻まで数え、日時計、夜間は水時計である漏刻を用いて夜漏一刻~夜漏三十一刻までを数えていたのです。

漏刻とは水が桶や水槽に入れられたり、流れ出たりすることで水面に浮かべた矢羽や人形が時刻の目盛りを表す仕組みです。

漏刻は後漢時代(紀元25年~紀元220年)の間に水槽を2段に、唐代(紀元618年~907年)の間に水槽を4段にする改良が加えられ、精度が大幅に向上します。

そして北宋時代の元佑年間(紀元1086年~紀元1089年)に首都の開封(現在の河南省)に水運儀象台が建設され、天文観測施設を含めた水時計として利用されました。

高さは10.4m、土台は一辺6mで漢の時代から続く1日の百刻、24時間制、不定時法の夜間時刻の3種類を示すために162体の人形が設置されているのです。

また水運儀象台は天文観測施設の渾天儀(天体望遠鏡)で正確な太陽の南中時を観測し、それを基に時刻をコントロールする仕組みを持っています。

時計の歴史の中で重要なのは動力源のエネルギーを時計が表示する時間へと変換する脱進機構を備えていたことで、機械式時計の要となるのがこの脱進機構であるため、水運儀象台は世界初の機械式時計とも言えるのです。

参考:織田一朗「時計の科学」

日本における水時計の歴史

日本最古の時計は、日本書紀によると飛鳥時代の671年4月25日(現在の暦に換算すると6月10日)に天智天皇が使用して時刻を知らせた時に用いられた漏刻です。

漏刻は四段ある水槽の上段から順番に水が落ちていき、一番下の段の水槽に水が入るとそこに浮かべてある矢が浮き上がるため、矢につけた目盛りを読むことで時刻がわかる仕組みです。

現在のように水道水があるわけではないため水に不純物が混ざらないようにしたり、凍結を防止したりするのが難しく、運用のために灯明や監視役などが置かれていました。

1昼夜を12に分けて(12辰刻)十二支の名称で呼び、1辰刻を4つの刻(4刻または4点)に分け、さらにその1刻を10に分けていた(10分)ことが「延喜式」などの文献に書かれていたことから、当時は定時法を用いていたことがわかっています。

水時計の現在

海外における時計の歴史においても、日本における時計の歴史の中でも重要な水時計ですが、現在はどのように進化しているのでしょうか。

3つの事例をご紹介します。

HYTの機械式水時計

絶えず流れる時間を針やデジタルではなく、流動性ある液体で表現するのをコンセプトに作られたのがHYTの液体機械式腕時計です。

HYTでは10年という長い年月をかけ、クロノードやルノー・エ・パピと協力した機械式時計における最高峰の技術と、医療・化学・物理学・宇宙工学などさまざまな先端分野技術を融合し、1mmのプレキシガラス製のキャピラリー(毛管)の中で2つの異なる液体により時間を表示するという腕時計を開発しました。

HYTの腕時計は全て液体による時刻表示を行っており、水時計の長い歴史や時の流れを感じさせながらも、世界初の技術を用いた革新的なデザインに注目が集まっています。

参考:HYT公式ホームページ

オイル時計

時刻を正確に計測するものではありませんが、インテリアや癒しのために用いられているのがオイル時計です。

水とオイルのように比重が異なる2つの液体の片方に着色し、2つの穴のうち1つの穴から比重の大きい水を下部に滴下させ、もう1つの穴から比重の小さいオイルが上部に逃げる仕組みとなっています。

大阪駅の水時計

JR大阪駅ステーションシティの南側、サウスゲートビルディングの1Fの広場にある水時計は国際報道局CNNのトラベル情報サイト「CNN Travel」で「世界で最も美しい時計12の中の1つ」として紹介され、人気の観光スポットとなっています。

幅6.5m、高さ4mの空間にコンピュータで制御され1/100秒間隔で落ちる水玉が面を作り、時刻や季節を感じさせる絵柄が描き出されているのです。

日本における時計の歴史を感じさせるブランド「和心」

和心は、1964年創業の腕時計メーカー、株式会社和工がお届けする日本製にこだわった腕時計ブランドです。

外出先でも手軽に時刻を確認できる腕時計に、日本の伝統色、日本の漢数字や干支といった文化、日本独自の素材、手作りと日本の職人のこだわりを詰め込みました。

和心では水時計の時代から時計の改良に力を注ぎ、ついには時計を携帯することまでできるようにした先人たちの知恵を大切にしたいと考えているのです。

ぜひ和心の腕時計で、日本の時計の歴史を感じてみてください。

和心 WACOCORO (wacocoro-watch.com)

まとめ

水時計は海外においては日時計の屋内や夜間は使用できないデメリットを解消する形で誕生し、日本においては初めて時刻を知らせた時計であるとわかりました。

現代でも水時計は生活の中でさまざまに進化しているので、ぜひ自分に合った形で取り入れてみてください。