大名時計とは?和時計との違いから仕組みまで詳しく解説

大名時計とは?和時計との違いから仕組みまで詳しく解説

江戸時代の時計について調べてみると和時計以外に大名時計が出てきますが、時計の好きな人でも和時計との違いや仕組みまではよく知らない人の方が多いのではないでしょうか。

この記事では大名時計の種類から仕組みまで詳しく解説します。

大名時計とは?

大名時計とは江戸時代の大名が使用した、1日を昼と夜に分け、その各々を等分に分割する不定時法を用いた日本製の機械式時計のことです。

大名時計各大名お抱えの御時計師によって制作され、御時計役御坊主、御時計間御坊主といった専門の係の人が時刻を調節することによって動かしていました。

御時計師は当時旗本と同じ程度の禄高を大名から与えられ、その時計技術を子孫に伝えながら代々その大名家に仕えており、記録に残っている文献では1605年に徳川家康の時計を修理し、それをモデルに新しい時計を作って献上した津田助左衛門政之が最初の御時計師だとされています。

江戸時代における日本は農業国で、人口の9割が農業に従事していたことから昼間が生活の中心だったため、昼間と夜間を6等分した不定時法で時刻を知らせてくれる大名時計は当時の生活時間に合った便利な時計だったのです。

また1799年の「御役人武鑑」によると御土圭役御坊主7名、御土圭間御坊主26名だったのに対し、1862年では御土圭役御坊主13名、御土圭間肝煎御坊主10名、御土圭間御坊主58名と役職や人数が増加していることから、江戸城の大名時計の台数が増加するのに伴い、時計を調節する人員も増員したことがわかっています。

参考:大名時計博物館「館報NO.3~NO.5」

参考:一般社団法人日本時計協会「和時計の世界」

参考:佐々木勝浩・近藤勝之「津田助左衛門の和時計と特徴」

和時計大名時計の違い

和時計大名時計を同じものとして扱っている場合もよく見かけますが、厳密には次のような違いがあるため表にまとめてみました。

時計の種類

時代

時刻制度

持ち主

和時計

江戸時代

不定時法

決まっていない

大名時計

江戸時代

不定時法

大名

 

和時計の中でも大名が専有していたものを大名時計として分けて呼んでおり、大名時計はそれを作るのに用いられた技術もさることながら、装飾品としての価値が高いのも特徴的です。

参考:大名時計博物館「館報NO.3」

大名時計の種類

大名時計にはさまざまな種類があるため、それぞれの概要を表にまとめてみました。

大名時計の種類

調速機(運動の速度を調整する仕組み)

動力

概要

掛時計

一挺天符

二挺天符

袴腰型二挺天符

丸天符

重錘

壁に掛けて使用する大名時計

櫓時計

一挺天符

二挺天符

袴腰型二挺天符

振子式

重錘

鐘楼や火の見櫓に似た形の台にのせた大名時計

台時計

一挺天符

二挺天符

丸天符

振子式

重錘

四本の脚で支えられた大名時計

尺時計

一挺天符

丸天符

振子式

重錘

重錘を指針にした日本独特の掛時計で最も普及したとされる大名時計

枕時計

一挺天符

二挺天符

丸天符

振子式

ゼンマイ

枕元に置く方形の置時計

置時計(船時計、御籠時計、卦算時計など)

一挺天符

丸天符

ゼンマイ

用途によりさまざまな場所において使用する大名時計

印籠時計

丸天符

ゼンマイ

腰に下げて使用した携帯時計

 

大名時計は時代の流れや用途に応じて、さまざまな種類に進化していったことがわかります。

参考:大名時計博物館「館報NO.3」

参考:一般社団法人日本時計協会「和時計の世界」

参考:セイコーミュージアム銀座「和時計」

大名時計仕組み

大名時計は和時計と同じく不定時法を用いた時計のため、昼夜の長さに応じて動く速度を変える一挺天符や二挺天符、また動く速度を一定にして文字盤を調節する割駒式文字盤で時間を調節していました。

具体的には一挺天符の場合、御時計役御坊主、御時計間御坊主といった専門の係の人が明け六つになると天符の錘を昼用の位置に直し、暮れ六つになると天符の錘を夜用の位置に直すという形で運用していたのです。

しかし毎日の朝と夜に天符の錘を変更するには手間がかかることから、上が昼用、下が夜用の2つの天符を入れ替わりで使用することができる二挺天符の大名時計が生まれました。

このように天符の錘を調節して使用した大名時計は掛時計、櫓時計、台時計、枕時計です。

また割駒式文字盤は時刻が掘ってある駒が左右上下に動く仕組みを持っており、昼間が長い場合は明け六つから暮れ六つまでの時刻の駒を左右に動かして間を広げ、夜の短い時は暮れ六つから明け六つまでの時刻の駒を動かして間を狭くして調節を行っていました。

割駒式文字盤は江戸時代後期における大名時計の全てに用いられています。

参考:大名時計博物館「館報NO.3」

大名時計の技術の進歩

大名時計においては、初期は御時計師だけが制作に携わっていましたが、19世紀始めごろにその制作技術が頂点に達すると分業化され、塗り師、彫金師、細工師、鋳物師などの専門家たちが協力して1つの大名時計を制作していたことがわかっています。

このことから大名時計は前項でご紹介したように一挺天符、二挺天符、割駒式文字盤と時間を調節する技術が進歩しただけはなく、部品の仕上げ、機構、オルゴール、暦についての装置など近代的な時計に通じる技術も同時に進歩していきました。

また技術は御時計師が大名のお抱えであったことから、子孫や弟子へと代々受け継がれ、少しずつ発展していったのです。

大名時計の技術の進歩において1つだけ例外的なのが時間の精度で、これについては江戸時代初期から末期までほとんど発達していません。

江戸時代末期にはヨーロッパの時計を日本の御時計師が修理して、進歩した技術にも触れているはずなのに大名時計に取り入れられなかったのは、江戸時代の生活環境ではそれほど正確な時刻が必要ではなかったためではないかと考えられています。

参考:大名時計博物館「館報NO.4」

大名時計のように時計のお手入れとデザインにこだわるブランド「和心」

和心は、1964年創業の腕時計メーカー、株式会社和工がお届けする和にこだわった腕時計ブランドです。

株式会社和工には大名時計における御時計師のように、時計の修理に関する名称独占資格である1級時計技能修理士が1名、2級時計技能修理士が1名在籍しているため、自信を持って保証内容と取扱説明書をホームページに掲載しています。

これは江戸時代の御時計師が大名時計の制作から修理まで、先祖代々受け継がれた技術を用いて誠実に対応したことと同じく、腕時計の販売からメンテナンスまで丁寧に行いたいと考えているためです。

また十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を使用した文字盤、大字(だいじ)の壱・弐・参・肆・伍・陸・漆・捌・玖・拾を使った文字盤など、随所に大名時計にも通じる日本の古くからのデザインを使用しています。

歴史の香りを今に伝える腕時計を、ぜひ一度その腕で試してみませんか。

和心 WACOCORO (wacocoro-watch.com)

まとめ

大名時計とは江戸時代の大名が使用した、不定時法を用いた日本製の機械式時計のことですが、お抱えの御時計師によって制作され、御時計役御坊主、御時計間御坊主といった専門の係の人が時刻を調節し丁寧に使用された時計であるとわかりました。

時計の歴史を知ることは、時間との付き合い方の変化を知ることでもあります。

ぜひ自分に合った形で取り入れて、時間を上手に使ってみてください。