暦は時間の流れを、年・月・週・日といったそれぞれの単位に当てはめて数えられるようにしたものであるため、研究が進むと改暦することはわかっているけれど、具体的にどのような変化があったのかまでは知らない人も多いのではないでしょうか。
この記事では改暦の意味から、日本の改暦の歴史まで詳しく解説します。
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目次
- ■改暦とは?
- 元嘉暦の導入
- 天保暦への改暦
- 明治の改暦
- ■日本において最も長く使用された暦とは?
- 遣唐使の廃止
- 日本の暦学の未発達
- 誤差が少ない
- ■日本の暦をほのかに感じさせるブランド「和心」
- ■まとめ
■改暦とは?
改暦には次の3つの意味があります。
- 暦を作成する方法である暦法を改めること
- 暦の誤差を調整すること
- 新年を迎えること
新年を迎える以外の改暦は、天文学の知識が深まるにつれ、暦における日時と星の動きが合わなくなってくるために行われます。
日本における改暦の歴史
日本における改暦の歴史を表にまとめてみました。
暦の種類 |
使用開始した年(元号) |
使用開始した年(西暦) |
使用年数 |
元嘉暦 |
不明 |
不明 |
不明 |
儀鳳暦 |
文武天皇元年 |
697年 |
67年 |
大衍暦 |
天平宝字8年 |
764年 |
94年 |
五紀暦 |
天安2年 |
858年 |
4年 |
宣明暦 |
貞観4年 |
862年 |
823年 |
貞享暦 |
貞享2年 |
1685年 |
70年 |
宝暦暦 |
宝暦5年 |
1755年 |
43年 |
寛政暦 |
寛政10年 |
1798年 |
46年 |
天保暦 |
弘化元年 |
1844年 |
29年 |
新暦(現在の暦) |
明治5年 |
1872年 |
149年 |
現在の暦に至るまで繰り返し改暦がされていますが、日本における改暦の歴史の中で重要な意味を持つ改暦を3つご紹介します。
元嘉暦の導入
元嘉暦とは中国暦の1つで、日本書紀の記述によると日本には554年に伝えられたとされています。
日本で行われた暦法のうちで唯一、平均値で月の満ち欠けを決める平朔と、19年に7回うるう月を挿入する章法が厳密に成り立つ暦です。
近年の研究では、元嘉暦の導入により鏡や古墳で年号を確かめる必要がなくなったため、鏡を副葬品として埋葬が行われてきた古墳群が減少し、大和政権の支配が進んだことがわかっています。
暦が日本の歴史の流れに影響を及ぼした最初の事例とも言えるでしょう。
天保暦への改暦
天保暦は1844年2月18日~1872年12月31日の間に使用された、月の満ち欠けを基に太陽の動きも参考にして閏月を取り入れる太陰太陽暦で、実際に使用された太陽太陰暦の中では最も精密な暦です。
1842年(天保12年)に、江戸幕府よりフランスのラランドが著した天文学の教科書「ラランデ暦書」に基づいて渋川景佑が作成した、「新巧暦書」を参考にして完成しました。
それまで使用されていた寛政暦では、二十四節気を1年間を等分して計算する平気法が用いられていましたが、天保暦では太陽の位置を計算し天球上の太陽の軌道を24等分して二十四節気を定める定気法が用いられています。
また暦に掲載する時刻を、当時一般的に用いられていた不定時法にしたのも特徴的と言えるでしょう。
天保暦は「旧暦」と称され、現在でもカレンダーなどに補助的に記載されていますが、閏月の置き方に将来的には不都合が生じるため、これを「旧暦2033年問題」と呼んでいます。
解決法はいくつか見出されていますが、まだ社団法人・日本カレンダー暦文化振興協会では暦学の専門家における検討を継続するとしているのです。
明治の改暦
明治維新により明治政府は西洋の制度を導入して近代化を推し進めましたが、暦についても欧米との統一化を図るため、1872年12月9日の「改暦の布告」により1872年12月31日に天保暦を廃止し、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を改めて明治6年1月1日とすることとしました。
しかし改暦の布告から実際の改暦までわずか20日程度しかなかったため、暦の販売業者である弘暦者がこの間に暦の返却対応や、新しい暦の作成を行わなければならないといった社会的混乱を引き起こしたのです。
このようなやや強引とも言える改暦を行ったのは、明治政府が財政面で逼迫しており、改暦すれば12月分と次の年に入る予定となっていた閏月分の官吏への給与を支給しなくてもよくなることが理由だったと、後に当時参議だった大隈重信の回顧録「大隈伯昔日譚」に記されています。
明治の改暦以来日本では改暦は行われておらず、現在でも太陽暦であるグレゴリオ暦がそのまま使用されています。
■日本において最も長く使用された暦とは?
中国から元嘉暦が伝わって以来、日本では天文学の知識が深まるたびに改暦を繰り返してきましたが、その中でも一番長く使われたのは862年から1684年の823年間に渡って使用された宣命暦です。
9世紀に伝わった宣命暦がこれだけの長期間使用されていた理由は3つあるので、それぞれご紹介します。
遣唐使の廃止
894年の遣唐使の廃止により、新しい中国の暦が日本に流入しなくなりました。
宣命暦が使用されるまでに用いられた元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、五紀暦はいずれも中国から伝わった暦で、日本独自の暦ではありません。
このことから、日本では宣命暦から改暦したくてもできない期間が長かったと言う見方もできるでしょう。
日本の暦学の未発達
日本の暦学は未発達な期間が長く、独自で暦法を生み出すことができるレベルに達するまでには長い時間を必要としました。
宣命暦が貞享暦に改暦されるのは江戸時代になってからですが、このころにようやく日本では暦法に関する研究が盛んになり、改暦に結び付いたと言えます。
誤差が少ない
もし暦を使用していて、実際の日付と大きな誤差が生まれるとすると、生活の上でさまざまな支障が生じるため改暦をしたいという気運も高まるでしょう。
しかし、宣命暦は800年ほど使用されたにもかかわらず、誤差は2日ほどしかなかったのです。
これは貞享暦の作成に携わった渋川春海が貞享暦の採用を上奏するために作成した「請革暦表」に、「正に知る、頒行する所の宣明暦、天に後る二日なるを。今天文に精しきは則ち陰陽頭安倍泰福、千古に踰こゆ。松田順承という者あり。暦数に審つまびらかなり」と書かれていることからわかります。
宣命暦を紀元前45年から導入されている太陽暦で、グレゴリオ暦の前に使用されていたユリウス暦と比較すると、ユリウス暦を800年使用した場合の誤差は6日となるので、このことからも宣命暦の正確さを伺い知ることができます。
宣命暦の暦としての優秀さが、改暦を起こさせなかったとも言えるのではないでしょうか。
■日本の暦をほのかに感じさせるブランド「和心」
和心は、1964年創業の腕時計メーカー、株式会社和工がお届けする日本製の腕時計ブランドです。
今や暦は腕時計という形で外出先にも持ち運ぶことができるようになりましたが、和心の「畳シリーズ」の文字盤には一部十二支を用いて、日本の暦が感じられるようにしています。
2022年の干支は寅ですが、文字盤を見るたびに今年の干支をなんとなく思い出すのも趣のあることです。
日本の暦と文化を大切にする「和心」の腕時計を、ぜひ一度身に着けてみませんか。
和心 WACOCORO (wacocoro-watch.com)
■まとめ
改暦とは主に暦を作成する方法である暦法を改めることを指しますが、日本では9回行われ、現在は太陽暦であるグレゴリオ暦を採用していることがわかりました。
暦について知ることは、歴史の流れやそこに生きた人々の生活を知ることでもあります。
日本古来の暦にぜひ興味を持ち、そこに活かされた人々の知恵を感じてみてください。