時の記念日は日本における記念日の1つだということは知っているけれど、国民の祝日ではないのであまり意識したことがないという人がほとんどではないでしょうか。
この記事では時の記念日が生まれた時代背景から時の記念日の歴史まで詳しくご紹介します。
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目次
- ■時の記念日とは?
- ■時の記念日が生まれた時代背景
- ■時の記念日の歴史
- 最初の時の記念日
- 戦前の時の記念日
- 戦後の時の記念日
- ■時の記念日の現在
- ■日本の「時」を意識できる腕時計「和心」
- ■まとめ
■時の記念日とは?
時の記念日とは日本で初めて時計による時の知らせが行われたことを記念して定められた日本の記念日です。
時は飛鳥時代、671年4月25日(現在の暦に換算すると6月10日)に天智天皇が当時の水時計である漏刻を用いて鐘鼓(かねづつみ)を打ち、時刻を知らせたと日本書紀に記されていることに由来します。
参考:SEIKOミュージアム銀座「Web企画展 時の記念日100年を振り返る~大正から令和へ」
■時の記念日が生まれた時代背景
現在では誰もがスマホや腕時計で外出先でも時刻を確認し、海外からも時間に正確と評されることの多い日本人ですが、時の記念日が生まれた大正時代においてはそれほど時間に対する意識は高いものではありませんでした。
東京教育博物館(国立科学博物館の前身)では当時通俗教育(社会教育)を意識した展覧会を多く開催しています。
これらの展覧会をきっかけに政界・財界・教育界を横断する形の財団法人「生活改善同盟会」が発足すると、日常の生活改善の10項目のうち最初に時間を正確に守ることが挙げられたのです。
1920年5月~7月に東京教育博物館では文部省と生活改善同盟会の共催で「時」展覧会が開催されると展覧会としては過去最大の22万人を動員しました。
このため生活改善同盟会は時間尊重の思想を普及させるための行事として会期中の1920年6月10日、第一回時の記念日を主催することとなったのです。
参考:SEIKOミュージアム銀座「Web企画展 時の記念日100年を振り返る~大正から令和へ」
■時の記念日の歴史
時の記念日は大正時代の最初の開催以来、記念日としてどのような行事が開催されてきたのでしょうか。
その歴史を最初の時の記念日、戦前、戦後の3つに分けてご紹介します。
最初の時の記念日
最初の時の記念日である1920年6月10日には、東京市内小中学校での記念講話、天智天皇についての記念陳列、神社・寺院・教会・大工場での当日正午における鐘鼓・汽笛等を用いた一斉の時報、各新聞社への社説依頼などの行事が執り行われました。
その中でも目を惹いたのは、日本女子商業学校、淑徳女学校、東洋高等女学校、千代田高等女学校、東京家政女学校、芝中学校の生徒と、深川小学校夫人同窓会及び東京少年団団員によって銀座、日本橋、日比谷、上野、浅草等、東京市内目貫などの10か所で時間尊重を目的として配布された5万枚ものビラです。
ビラの内容は次の通りです。
“時の記念日
この六月十日は、千二百五十年前畏くも、天智天皇が漏尅(水時計)を用い給いて報時の事を行わせられました日に当たります。 我等は斯様な由緒ある日を記念に将来一層時間を尊重し定時を励行致したいと思います。
○執務の時間
一 出勤及び退出の時間を励行すること。
一 勤務と休養の時を区別し時間を空費せぬこと。
一 取引約束の期日を違えぬこと。
○集会の時間
一 集会の時日は、多数者の都合を考えて定めること。
一 開会の時刻は掛値をせぬこと。
一 集会の時刻に遅れぬこと。
○訪問の時間
一 先方の迷惑する時間の訪問は慎むこと。
一 訪問は予め時間を打合わせること。
一 簡単な用談は玄関店頭で済ますこと。
一 面会は用談を先にして早く切り上げること。
一 来客は待たせぬこと。
○正確な時計
時間の励行には、正確な時計が第一に必要であります。 正確な時間に合わせるには午砲の外に最寄りの電信局及び停車場に行くがよろしい。 午砲は約三町毎に一秒遅れて聞えますから、それだけ差し引く必要があります。
来る七月三日まで御茶の水で、「時」展覧会が開かれて居ります。
生活改善同盟会
ビラを配布すると同時に浅草、上野、須田町、日本橋、銀座では天文台から持ち出した標準時計(クロノメーター)を備え付け、道行く人に正しい時刻に合わせることを勧めました。
このように最初の時の記念日は、日常の生活改善を目的とすることから人々の関心も高く、盛大な行事として行われたことがわかります。
戦前の時の記念日
1927年には兵庫県の大丸呉服店神戸支店で「時計の歴史展覧会」、1930年には大阪三越で「時を活かす展覧会」、1937年には銀座伊東屋で「時代時計展」が開催され時の記念日は時間尊重の思想を広めるきっかけとなってゆきます。
また1921年からは時間尊重に努めた人が「時の功労者」として表彰されるようにもなり、国民生活の合理化とともに時間の大切さが世の中に広まっていきました。
参考:SEIKOミュージアム銀座「Web企画展 時の記念日100年を振り返る~大正から令和へ」
戦後の時の記念日
戦後は日本人の時間に対する意識が向上したのはもちろんですが、正確な時計への需要が高まったため時の記念日における展示会では各時計メーカーの先進性や技術力をアピールする新製品発表会としての意味合いも強まっていきました。
例えば1960年の時の記念日に、セイコーの販売店で配布された腕時計の無料診断についてのパンフレットなどが現在でも資料として残っています。
参考:SEIKOミュージアム銀座「Web企画展 時の記念日100年を振り返る~大正から令和へ」
■時の記念日の現在
現在の時の記念日においては、天智天皇が漏刻を用いて鐘鼓(かねづつみ)を打ち、時刻を知らせたことにちなんで古式ゆかしく太鼓を打ち鳴らす行事が日本各地で行われています。
また1920年の「時」展覧会において時に関する歌詞を募集し、後に「大阪音楽学校」設立者の永井幸次(こうじ)氏が作曲して作られた時の記念日の唱歌「尊い寶」は、2015年に大阪音楽大学音楽博物館に楽譜が残っていることが判明し2016年に再現されました。
このように大正時代から現在まで時間に対する意識を変えるためにさまざまな行事が行われてきた時の記念日ですが、その効果はどうなのでしょうか。
SEIKOが2021年に発表した「セイコー時間白書2021」によると日本人で「物事を始める前に目安の時間を意識して行動」している人は68.3%でした。
また大切にしている時間は「睡眠・休憩の時間」と回答した人が76.6%で、日本人は時間がどのくらいかかるのかを考えて行動し、プライベートの時間を大事にする傾向が強いことがわかったのです。
これらの結果から見ると現在の日本人は時間に対する自分の考えを持ち、それをしっかりと行動化していると言えるでしょう。
参考:明石市立天文科学館「時の記念日の調査・研究のご協力をお願いします!」
参考:セイコー時間白書2021
■日本の「時」を意識できる腕時計「和心」
和心は、1964年創業の腕時計メーカー、株式会社和工がお届けする国産の腕時計ブランドです。
外出先でも手軽に時刻を確認できる腕時計に、日本の伝統色、日本の漢数字や干支といった文化、日本独自の素材、手作りと日本の職人のこだわりを詰め込みました。
和心の腕時計を身に着けることで、時間をあまり意識しなかった時代から、時の記念日によって時間に自分なりのこだわりを持つようになった現代までの時の流れを感じることができるでしょう。
さりげない自分の時間へのこだわりを、「和心」の腕時計で表現してみませんか。
和心 WACOCORO (wacocoro-watch.com)
■まとめ
時の記念日とは日本で初めて時計による時の知らせが行われたことを記念して定められた日本の記念日ですが、日本人の時間に対する意識向上のために一役買ってきたことがわかりました。
ぜひ6月10日を、自分なりの時間の使い方を見直す日として有意義に過ごしてみてください。